本文へスキップ

全国にアナウンサー等を多数送り出している 生田教室

お問い合わせはメールでこちらから

〒532-0011 大阪市淀川区西中島6丁目2-3-301

卒業生の声2022voice

「生田教室に学んで」 CBCラジオ(レポートドライバー) 一 光


コロナ禍ということを言い訳に挑戦することから逃げていた大学生活前半を思い返し、もしも教室の生徒になっていなかったら今頃どうしていただろう?と想像して怖くなった。

生田教室に入門した大学2年生の6月、私の人生が大きく変わった瞬間だった。
アナウンサーはどんな仕事だろうか?見た目や話し方、清潔感と明るさを目指し試行錯誤を行った。

毎日目の前の事にがむしゃらに食らいつくことで精一杯、そうした中試験はすぐにスタートした。
何日もかけ準備をし、自分の全てを曝け出したつもりのESや面接の結果は、音沙汰もなく不通過。
どこにも必要とされてないのではないかという不安や寂しさ、想像を絶する現実の厳しさを目の当たりにした。
それでも授業に出ると放送人になりたいという明確な目標があること、全力で夢を追いかけられる環境にいる幸せを実感し、前を向くことができた。

試験を受け始めて一年が経とうとしていた頃、面接官の方に楽しいと思っていただけるお話をしたいという最大限の感謝の気持ちと、あとは楽しむという思いを持って臨んだ面接。
弱さや失敗談も楽しく自分らしく伝えることができた時、内定を頂けた。

今となって濱野先生のおっしゃっていた「面接では鎧を脱いで臨めばいい」というお言葉の本当の意味を理解できたように思える。
終わりが来ないんじゃないかとも思えるほど長く険しい道のりの就職活動だったが、人として成長するために必要な時間だったと感じている。

教室で学んだ放送技術だけではなく社会人として生きていくうえで大切な心遣い。
時には厳しく正しい方向に導いて下さった先生方、励まし元気をくれた先輩や同期、明るく頼れる後輩と授業を受けることができたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

沢山の人に支えられて立つことができる放送人としてのスタートライン。躓きながらも全力で走っていきたい。

「生田教室に学んで」 伊万里ケーブルテレビジョン(アナウンサー) 澤田 百萌


大学2年生の1月、生田教室の門を叩いた。

私にはアナウンサーになって叶えたい夢があるからだ。
地元を誰からもバカにされないぐらい有名にすること。農業の魅力を幅広い年齢の方に知ってもらうこと。

初めは思いつき程度であったかもしれない。でも気がついた時には体が勝手に動いていた。
初めて授業を見学した時、先輩達の原稿読みに感動し、ここなら絶対にアナウンサーになれると希望を抱き、思い切って入学した初めは、やる気に満ち溢れ、怖いもの知らずで飛び込んでいたフリートーク。
得意だと思っていたはずが、いつからか周りと比べ、出来ない自分が嫌になり、話すことが怖くなった。

あっという間に始まったアナウンサー試験では、同期が試験に通って行く中、書類が通らないと授業中に何度も弱音をはき先生を困らせたこともある。
だが、そんな出来損ないの生徒に対して「絶対にあなたはなれる」「自分で自分に制限をかけるな」と前向きな言葉をずっとかけ続けて下さった。

こんな私を信じて、応援し続けてくれる人達を裏切りたくない。
もう泣いても後がない4年生の10月、心に誓い、死ぬ気で取り組んだ。
大学の卒業研究との同時並行による忙殺。毎日書類落ちをする夢を見るほど精神的にも限界だった。
それでも頑張り続けられたのは、親身になって支えてくださった先生や先輩方、励まし、時には喝を入れてくれた同期。たくさんの刺激をくれた後輩達に内定という形で恩返ししたかったからである。

「出てくる釘は引き上げられるけど、出てこない釘は引き上げることは出来ない。」縮こまり小さく纏まるのではなく、思い切ってやってみる。
生田教室は、何でも1人でやり切ろうとする自分に、頼っても良いんだよと手を差し伸べ、ここまで引っ張り上げてくれた。

私のアナウンサーという夢は、これからがスタートである。
支えてくださった全ての方への感謝を忘れず、今度は私が放送という力を借りて誰かの支えになりたい。

「生田教室に学んで」 東京メトロポリタンテレビジョン(アナウンサー) 牧田 更


大学1年の秋、教室に入門した。
大好きなテレビに携わりたい。自分の言葉で誰かが前向きになれたらと思い志したアナウンサー。

教室での学びは勉強と発見の連続だった。
そんな中新型コロナが流行、憧れを叶えることに対する自信がなくなり、お休みを頂いた。
もがく中でアナウンサーにはなれないと思い、辞めようかと思うことが幾度となくあった。
1度や2度ではない。5、6度もう辞めようと思った。

ただ、そこで思い出したのは教室で先生が仰っていた「諦めなければアナウンサーになれますよ」の言葉。
諦めの悪い私はそれだけを信じて受け続けた。

内定するまでは、先生方に会わせる顔がないと勝手に意地を張っている私がいた。今思うと素直になれば良かったのだ。
面接の度、先生方の授業が脳裏に浮かびなんとかアナウンサーになりたいという思いが残り、おかげで辞めようとする自分を何度も止めることが出来た。

そして、肩の力が抜けて最高に楽しめた面接で内定を頂いた。
最初、夢だと思った。いや、今でも夢だと思っている。
会社に「内定は夢ですか?」とメールを送ってしまったほどだ。

しかし、驚きや嬉しさはつかの間、放送に携わる責任の恐怖が襲ってきた。
私は、働き出す前にもう一度生田教室の門を叩く決意をした。4年の秋である。

2年間のブランクもあり、受け入れてもらえるかとても不安だっが、こんなちっぽけな悩みはすぐに消え去った。
先生方は暖かく迎えて下さり、本当に嬉しかった。
「おかえり」と先生方に言って頂いた時、涙が出そうになり、自分の居場所にようやく戻って来られたと思った。
ここで2度も学ぶチャンスを与えてもらった私は本当に幸せ者だ。

4月からの私は未知数だ。せっかく教室で学ぶ幸運、会社とのご縁を頂けたのだから最大限頑張りたい。
放送人として、伝え手として東京MXを盛り上げ全国的にする。それが私の今の目標だ。
そのために今後も教室で学び、学んだことを全力で活かしていく。

「生田教室に学んで」 日本テレビ(報道・契約) 小林 優


2年生の12月、生田教室の門を叩いた。
当初、20年間大阪に住んでいる私にとってコテコテの関西弁が抜けるのかと不安な気持ちでいっぱいだった。

だが、見学の際にみた先輩方はキラキラと輝いており、もう本物のアナウンサーなのではないかと思うくらいだった。
「私も先輩方のようになりたい。」 その熱い思いが不安を吹き飛ばした。
世界的パンデミックによる行動制限などから自分が何をしたいのかわからなくなってしまっていた中で、昔からの強い憧れがあったアナウンサーという夢を目指し始めた。

だが、入門をしてからは憧れだけではなれない厳しさを知った。
元から声がハッキリとしていなかったため、声の作り方から、声の底力をあげるトレーニングなどを一つ一つ丁寧に教わった。

何回も何回も時間をかけ練習をして挑んだ読みや自己PR、そしてフリートーク。
授業中には、厳しい言葉を掛けられることも度々あり、心が折れそうな時もあった。
そんな中でも、授業後に優しい周りの仲間たちにアドバイスを貰い、助けられながら何度も何度も乗り越えてきた。

5冊以上に及ぶ、ぎっしりと書かれた先生方から頂いたアドバイスや有難い言葉、そして隙間が無くなるほど書き込みをしてボロボロになった教科書。
一つ一つが学生時代の私にとって宝物である。

生田教室ではアナウンサーになるための技術や心構えだけではなく、放送人、社会人として、即戦力になるための基本的なことを学んだ。
そして、切磋琢磨でき、刺激し合える仲間にも出会えた。

生田教室で学んだ2年2ヶ月、受けた授業197回。
全ての教え、そして感謝を胸に、遠回りになるかもしれないが、ゆっくりと着実に叶えたい夢に向かって諦めずに進もうと思う。

information

生田教室

〒532-0011
大阪市淀川区西中島6丁目2-3-301
TEL.準備中
FAX.準備中
お問い合せはこちらから