あるアナウンサーの「今日も元気にいってらっしゃい!」に背中を押され、辛いことがあっても毎日頑張れた小中学生時代。生きる勇気を与えてくれていたアナウンサーという職業に対して強い憧れがあった。「誰かの役に立てるようなアナウンサーになりたい」という夢を語ることに躊躇いがあり、家族に打ち明けるにも時間が必要だった。
しかし、大学2年生9月に生田教室を見学し、既に内定していた先輩の姿を見て「背中を追いかけたい、夢を夢で終わらせたくない!」と覚悟ができた。人生を賭けて、教室に入学、私のアナウンス受験が始まった。
教室ではアナウンスメントスキルだけでなくアナウンサーとしてあるべき姿など、心構えについても学んだ。書き留めたノートは600ページ、その全てが私の財産である。
また、新型コロナウイルスという大きすぎる壁。教室で授業を受けられない悔しさが込み上げたが、すぐにオンライン授業に切り替えて授業の場を整えてくださった先生方。また、先生方からいただいた愛のある指導に、私はとても恵まれている人間なのだと感じた。
コロナ禍での受験は、「絶対にアナウンサーになる」という想いを強くしてくれた。
そして5月28日、朝10時に内定の電話をいただいた。電話口で声が震え、泣いた。とても幸せな涙だった。
しかし、もっと心が震えたのは6月23日の生田教室の授業で、濱野先生に「さらに一回り大きくなりましょう。どんなお支えもしますから、それが私の願いです」と言っていただいたことだ。
内定することが目標ではなく、誰かを支えられるようなアナウンサーになることが夢だということを改めて思い出させていただいた。
宮崎を愛する子と書く私の名前。テレビ宮崎のアナウンサーとしてスタートを切れる喜びを噛み締めて、夢を叶えるために、また一歩ずつ成長していくことをここに誓う。
「彩花ちゃんが読むと感動する」引っ込み思案だった私が、堂々と声に想いを乗せることができる瞬間。小学生の頃から朗読が大好きでたまらなかった。「アナウンサーになりたい。」大学ニ年生の春、生田教室の門を叩いた。
それからあっという間に迎えたアナウンサー試験。膨らんでいく不安があった。「話すことが怖い。」日々のフリートーク練習も、大好きだった友人との会話も、「話し下手だな」「今の私、喋りすぎているかな」と気になって怖くなった。今思えば、生田教室に通うことで、「喋り」に対して自分を厳しく見つめられたからだと思う。それでも、正しく喋らなきゃとおかしな圧力を自分でかけ始めた。
「失敗していいんですよ。沢山ジャブを打ってください。」濱野校長からの言葉で、私が心に留めているものの一つである。怯える私を優しく導いてくれた温かな言葉。自分の弱さも愛し、失敗を恐れない前のめりな姿勢が大切だと心から思えた時、内定を頂いた。
生田教室は、私の根っこを育ててくれたのだと強く思う。週にニ回の授業を休まずに通い続ける根気。失敗から立ち上がる根性。彩花という名前の私。周りを彩る大きな花を咲かせるためには、太くて強い心の根が必要なのだと学んだ。
「心と体の調子はどうですか。」とオンライン上でも何度も声をかけてくれる先生方、応援や心配の連絡をくれる先輩、同期、後輩達。外出が生きがいの私にとって、苦悩ばかりのコロナ禍での就職活動。足を止めずに最後まで試験を受け続けることができたのは、悲しさや悔しさも包み込んでくれる温かな言葉のおかげだった。
何度も迷い、つまずいたニ年半。それでも前を照らし続けてくれた先生方。感謝の想いを胸に、放送人として長く長く走り続けたい。