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全国にアナウンサー等を多数送り出している 生田教室

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卒業生の声2023voice

「生田教室に学んで」 CBCテレビ(アナウンサー) 小川 実桜


大学2年生の7月に生田教室の門を叩き、学んだ2年8か月。
この時間は、私の人生の中で最も濃い時間だったと思う。
アナウンサーという職業への漠然とした憧れだけを抱いて、右も左もわからないまま飛び込んだ。
正直、こんな職業に就ける人は、キラキラしていて、生まれつき何かを持っているような人だと思っていた。
自分が実際にアナウンサーになる未来を想像できなかった。
だからこそ初めは、本気でアナウンサーを目指すことを甘く見ていたように思う。

だが、入門してから数回目の授業で「皆さんはアナウンサーという職業で生活するため、この教室で学ぶのです」とお言葉をいただき、自分の認識が大きく変わった。
そのとき、真剣に夢を叶える決心がついたことを今でも覚えている。

学び始めてからも声は小さく、表情も乏しかった。何度も指摘をいただいても、うまく改善できず悩んだこともあった。
それでも、少しずつ成長していたことは、今ならわかる。

成果の出ない就職活動の中で、自分らしく振る舞うことの大切さを先生方が教えてくださった。
自分に足りていない要素は、大きな背中を見せてくださった先輩や、驚くスピードで成長していく後輩、そして一緒に切磋琢磨し、苦しいことも共に乗り越えてきた同期の姿勢から学んだ。
無理せず着飾らず、等身大の自分で話せるようになったとき、内定を頂けた。
このご縁は、生田教室に通って、先生方はじめたくさんの人に支えられていただけたものだと、断言できる。

春からは社会人として、そしてプロとしての新しい生活が始まる。
教室の卒業生として胸を張れるアナウンサーになれるように、たくさんの人から愛されるアナウンサーになれるように、教室で学んだたくさんの大切なことを胸に、一歩ずつ進んでいく。

「生田教室に学んで」 南日本放送(アナウンサー) 村田 晏奈


大学入学したての頃の私は、コロナ禍で学校に行けず、オンライン授業とアルバイトを往復する日々を送っていた。
何もしていない自分にモヤモヤする中で、「私はどこに向かっていくんだろう」と漠然とした不安を抱えていた。

その時、ふと高校生の記憶が蘇った。 全力で取り組んだチアリーディング部の活動を、地元テレビ局が生中継で伝えてくれた。
そこで、今までキラキラした印象のアナウンサーが、倉庫裏でジャージに着替え、汗水流してインタビューやチア体験をしてくれた。
「なんて泥臭くて、根性が必要で、カッコいい仕事なんだ!」と憧れの眼差しで見たことを思い出した。

そこからアナウンサーになる道を探す。
せっかくなら、ぐうたらしていた私を叩き直してほしいと、厳しい?らしい生田教室に入学した。
学生である先輩が本当のアナウンサーに見えて、ワクワクしたことを覚えている。
アクセント、フリートーク、放送局の情報、日々新しい知識を得る時間が楽しくて仕方なかった。

ただ、楽しいだけではないのが人生、ということも学んだ。
目標を語り合った仲間が一人また一人と去っていく寂しさ。波に乗れない就職活動に落ち込む毎日。
テレビが好き、だけど見ることが辛くなる。目標に向かって挑戦できる幸せ、だけど苦しい。
今まで出会ったことのない感情に、私の心と身体は常に限界直前だった。
その割りに、様々なオーディションに取り組み、今となっては笑えるが、自ら限界に近づくことばかりしていた。

こんな、喜怒哀楽以上の感情に翻弄されていた私を見放すことなく、面と向かって叱ってくれて、喝をいれてくれたのは、間違いなく生田教室の先生方だった。
愛ある指導から逃げたくなったり、言い訳したくなったりもした。
しかし粘り強く教室に通うことで少しずつ、「素直に受け止める気持ち」を手にしたとき、内々定の連絡が来た。

コロナ禍の学生生活、それでも最高に充実した日々を送ることができたのは、生田教室と出会えたからである。
先生方、先輩方、大好きな同期、大切な後輩に感謝の気持ちを忘れず、放送の世界に私は飛び込む。

「生田教室に学んで」 テレビ高知(アナウンサー) 川見 真宵


グリーンの教科書、ブルーの教科書、イエローの教科書。生田教室の3つの教科書は、私のバイブルだ。

大学2年生の春、生田教室の門戸をたたいた。
圧倒的な質量、熱量で繰り広げられる講義。魅力と実力を兼ね備えた素晴らしい仲間。
教室での体験全てが刺激的で、アナウンサーになるために自分が今やるべきことが次々と見えてきた。

私は高校時代から放送部に所属するほど、ただただアナウンスが好きな人間だった。
自分の声を聴いた人の心が動かされているのを感じる瞬間が、大好きだった。

しかし、アナウンサーはただ原稿読みが好きなだけでなれる職業ではない。
社会のあらゆる立場を考えた上で、報道・スポーツニュース、バラエティ等、様々なフィールドに対応できるオールラウンダーでありながら、自分が心から好きだと思える分野について語りつくせるヲタクでもあるべきだ。

また、視聴者を引き付ける人間的魅力と、会社の方々に一緒に働きたいと思わせる礼儀正しさ、常識を持ち合わせなければならない。
これらのアナウンサーに必要な素養を身につけさせてくれる場所こそ、生田教室なのだ。

今までアナウンス技術を教えてくれる所はたくさんあった。
しかしそれに加えて、生徒一人一人に真摯に向き合い、プロのアナウンサーへと一気に押し上げてくれる、厳しく、あたたかい環境は、生田教室ならではだ。
ただアナウンスが好きだった私を、アナウンサーの形に近づけてくださった先生方、教室の仲間には感謝してもしきれない。

ある受験会場で、先生方のアドバイスがびっしり書き込まれたグリーンの教科書を開いていたところ、「あなた生田教室の子?私も卒業生なの!懐かしいなあ、この教科書!」と声をかけていただいたことがある。
同じ教科書で学んだ先輩が、ここでアナウンサーになっている。
これが大きな自信になった。
全国で活躍する生田教室生のつながりのなかに入ることができるのも、生田教室の魅力のひとつだ。

何度も何度も読み返した3つの教科書は、今では生田教室での学びとつながりを象徴する、私の大切なお守りとなっている。

「生田教室に学んで」 ケーブルネットおえ(アナウンサー) 藤林 理子


10年前の私に、「アナウンサーになったんだ」と伝えたら、きっと口をあんぐり開けて目をぱちくりさせるだろう。

引っ込み思案で恥ずかしがり屋。
いつも、「あんたはうんともすんとも言わへん」と親に言われていた。
それなのに、そんな性格とは正反対とも言えるアナウンサーという職業に憧れたのだ。

過去の自分にさようならを告げ、新しい自分になることは決して楽なことではなかった。
それでもアナウンサーになりたいと思った。新しい自分を見てみたかった。

難航した試験。
計り知れないほどの痛みを味わい、何度も何度も夢を諦めようと思った。

そのたび、生田教室の先生から、前に進むためのエールをもらった。
「よく練習しましたね」「アナウンサーになれます」「凹んでいる暇はないよ」。
2年と6ヶ月、休むことなく受けた授業でいただいた数々の言葉が、私を成長させ、新しい自分への後押しをしてくれていた。
そして、私の内定を信じて待ってくれている皆の期待に応えたい、という気持ちが何よりも夢を諦めない力になっていたように感じる。

生田教室で指導していただいた先生、出会った仲間は私のかけがえのない財産であり、私に自信に繋がっている。
4月から、胸を張って、大きく、高く、羽ばたいていきたい。

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