「元気!大きな声!笑顔!」
元気が取り柄で人前で話す事が大好きな私は、アナウンサーを目指し生田教室に入門。
見学の時に見た先輩方の発声練習に圧倒され、その瞬間に入門を決意しました。
どれだけ先生から沢山のご指導を頂いたか分かりません。正直アナウンスの技術以上に、人としての心についてご指摘頂きました。
「生田教室は質実剛健な場所です。あなたのような人はこの先必ず痛い目を見ます。」
勢い任せの無鉄砲な性格の私に対してのお言葉。
以降、先生・先輩方へのメールの書き方、食事の際の食器の用意・お酒の注ぎ方など、「社会人としてのマナーと目配り気配り」を徹底的に学びました。
また自分は周りに生かされている、周りの全ての存在に感謝し、今後相手に寄り添い、相手のために行動できる「利他の心」も常に教えて下さいました。
「アナウンサーの前に、人格者であれ。」
この言葉を胸に刻みます。
そしていよいよ始まったアナウンサー受験。
ESは通るが面接がなかなか通らない。なんでだろう、と悩む日々。
そんな中頂いた「ゆうやらしく元気に臨めば大丈夫でしょう!」の濱野先生のお言葉。
今までは「アナウンサーらしく上手く話そう」と変に意気込み、却って固くなってしまっていた。
それ以降「受験生の中で元気さは誰にも負けない!」と強く意気込んだ結果、どんどん面接が通るようになり、
最終試験にも5局連続で進めるようになった。そしてついに頂いた内定。夢のような瞬間でした!
決して私だけの力ではありません。
ES添削・面接対策をして下さり常に励ましてくれた先生・先輩方、そして金銭面で支えてくれた両親、支えてくださった全ての方々のおかげです。本当にありがとうございました!
これからも「元気!大きな声!笑顔!」を大切にし、
「日本一エネルギッシュ溢れるアナウンサー」を目指し、精進していきます!
そして、周りのために常に行動し、「信頼」を大切に過ごしていきます。
東日本大震災が発生した14年前。
「緊急事態でも冷静に、誰かのために真っ先に動ける人になりたい」と思った。
入門してから1年間は1通も履歴書が通らなかった。
どうしたらよいかわからなかった時、広瀬先生に「あなた本当に変わる気ある??守、破、離が大切ですよ。」と叱られた。
人生で真正面から叱っていただいたのは初めて。
和歌山で甘えて育ってきた自分を捨て、生まれ変わろうと心に誓った。
試験地への新幹線から逃げたいと何度思ったことか。
赤く膨れ上がった腕と首の蕁麻疹を長袖で隠しながら、試験を受けた。
どんなに期待しても、最終試験で2日連続落ちたこともある。弱い自分を認めるのが嫌だった。
不思議なもので、生田教室の授業を受けると、自然と気持ちが前を向くのだった。
濱野先生から「あとは気持ちの問題だと思いますけどね。」と優しく声をかけていただいたことを覚えている。
完璧な自分になれなくても大丈夫。緊張しちゃってもそれがいつも通り。
なにより、自分自身を信じられないということは、私のことを応援してくれている生田教室の皆さんを信じられていないのだと思い、心から反省した。
そして、最終面接では、"謙虚に"これまでの経験を伝え、ここで働けたら本当に嬉しいですと気持ちを込めた。
2025年2月23日。大学卒業まで残り1ヶ月を切ったその日に、内定をいただいた。
目の前の課題にがむしゃらに向き合っていたので、それしか見えていなかったので、あっという間だった。
アナウンサー試験で落ちた数、95回。泣き虫根性を叩き直すために必要な時間だった。
生田教室は世界で一番愛情がこめられた教室だ。
どんなときも支えてくださった皆さんのおかげで、夢への切符をいただけた。
これからはプロのアナウンサーとして、私も人の心を動かすことのできる言葉選びを心がけたい。
今この作文を書いていることが本当に嬉しい。
私の生田教室に入門するきっかけは「生田教室に学んで」だった。
大学2年生の秋、私は伝える仕事に興味を持ちながら何も始められずにいた。
「厳しそう、ずっと音楽を専攻してきたのに大丈夫だろうか、きっと幼い頃から優秀な人達なんだろう、宝塚受験と同じ結果になるだけ」とできない理由ばかり並べていた。
そのとき見つけた「生田教室に学んで」。
先輩方の作文を読んでリポーター・アナウンサーという職業への意思が固まった。
初めからすっと決まったわけではない。それぞれが、芯の通った想いを届けていた。
幼い頃に憧れたタカラジェンヌという夢は叶えられなかった。
でもここで自分を変えなきゃ、変わらなきゃいけないと思った。私の挑戦が始まった。
入門は3年生の5月、同期は受験が始まっていた。
焦る気持ちとまだ実力のない現状にもどかしい日々。9月にようやくインターン参加。
「やっと!嬉しい。」と思っていたのもつかの間、3月には本採用が始まった。
いつになっても来ない結果。減っていく採用募集。その反比例が辛かった。
そして週2回3時間の授業が私の支えになっていた。
煮詰まったときには、進むべき方向へと導いてくれた。
落ち込んだ時には目の前の道を明るく照らしてくれた。
「最初からできる人はいませんよ。」「教室は失敗から学ぶ場です。どんどん挑戦しましょう。」と弱気になっていた私を何度も何度も私を立ち上がらせてくれた。
コツコツ続けることが苦手だった私。
この2年弱で生田ノート7冊、エントリーシート100枚以上になっていた。
3年生の5月から内定をいただいた4年生12月まで1年7か月。
たくさんの言葉をもらった。「向き不向きより前向きに」「やる前からできないって決めつけない」。
引っ込み思案だった私を変えてくれた。
内定をもらったときには自分のことのように喜んでくれた先生方、同期。内定してからも親身に支え続けてくれる生田教室の存在は何物にも代えられない。
これからも挑戦を忘れず芯の通った放送人として歩んでいきたい。